アナール学園

不実なる街の住人「アナール学派」のブログです。

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カメラの話

なんてこった…。高校の卒業式でつかったインスタントカメラを発見してしまった。
何年前のものだろうか?撮るだけ撮って現像にも出さず、そのまま引き出しの中に突っ込んで放っておいてしまったのだ。
古びた写真はセピア色になるというが、現像さえしなかった場合は、どうなるのだろうか?制服姿の僕はもう消えてしまったのだろうか…。
阿部公房は、カメラのことを、世界の部分を手に入れたつもりになれる自己欺瞞の道具であるといった。そして、結果として残る写真よりも、カメラを持っているときに感じる期待感のほうが、カメラにおいては本質的だという。
これはなんとなくわかるような気がする。人はカメラというものを安定剤のように使う面が多々あるだろう。
もう決して訪れることのない、今この瞬間、この場所を永遠に留めておきたいという叶わぬ思いを、カメラは上手くごまかして満足させてくれる。人はシャッターを押すときに、ファインダー越しに現れた時空をそっくりそのまま自分のものにできると思ってしまうのだ(昔の人が「カメラは魂を吸い取る」といって恐れたのも、このような心理の裏返しだろう)。
だから人はカメラを持ち歩く。使う使わないとうのは、もはや大きな問題ではない。この魔法の道具を持ち歩いているというだけで、世界を四角く切り取って、永遠に反復可能な形で支配できるという幻想に満足できるのだ(もしかしたら、カメラ付携帯の普及と、巷に充満するリアリティの希薄さには大きな関係があるのかもしれない)。
なるほど、こう考えると、この埃にまみれた哀れなインスタントカメラも救われるというものだ。
もうこのカメラは役目を十分に果たしてくれたのだ。シャッターを押す瞬間に感じた安心感たるや、いかほどのものだっただろうか。卒業式という、本来は厳粛な意味を持つはずの儀式の場を、カメラは一つの愉快なイベント会場にしてくれた。涙を流す借別の場を、いつもと変わらぬ笑顔だけで埋めてくれたのだ。

このことが良いことか悪いことなのかというのを判断するのは、また別の話だ。
しかし、村上龍はこういう。シャッターを押すということは、その風景を捨て去るということだ、と。
もし、この言葉が真実だというのなら、僕はこれからシャッターを押す前に、もう一度両目をしっかりと開けて、かけがえのない風景を直接自分に刻み付けたいと思う。
どうあがこうと、制服姿の僕は二度と帰ってはこないのだから…。
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  1. 2005/05/18(水) 21:54:42|
  2. アナール学派の雑感|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

写真がある事で甦る記憶もあれば
思い出したくない、忘れたい記憶も戻ってくる。
写真を撮る事によって小さな小さな自分の歴史を
産んでいくのでしょうね。
  1. 2005/05/22(日) 02:55:26 |
  2. URL |
  3. シベル #-
  4. [ 編集]

どもども!

シベルさん!!
この話を書いてから、カメラに興味が湧き出しましたw
忘れっぽい私には、写真で刻む自分史があったほうがいいのかもしれませんなぁ
しかし、子供に見せたくない写真ってのもあるわけで…
難しい問題だぁw
  1. 2005/05/22(日) 22:34:43 |
  2. URL |
  3. アナール学派 #-
  4. [ 編集]

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