アナール学園

不実なる街の住人「アナール学派」のブログです。

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異邦人、襲来

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(この画像は某サイトのお絵かき掲示板に投稿したものの再利用です)

街に長くいると、時にとんでもない人と出会うことがある。
理解不能、予測不可能で意思の疎通など、到底できそうにもない人だ。
そんな人を見ていると、その人がまるで見知らぬ異国の地からやってきた旅人のように思えてしまう。
そう、まるで異邦人(エイリアン)が、街にやってきたように感じてしまうのだ。

異邦人に対しての反応は様々だ。石ころのように黙殺(スルー)する人もあれば、獲物が来たとばかりに暴力的に煽りたてる人もいる。
そして、異邦人が去っていくと、まるで嵐が去ったかのように安心し、いつもの会話が始まっていく。そんなシーンを私は多く見てきた。
確かに、異邦人というものは不気味である。カミュの名作『異邦人』にはその不気味さがよく書かれている。作中の主人公は、我々が生理的に違和感を抱いてしまうような人物だ。母が死んだという知らせを受けても、悲しむことなく女と遊び、「太陽が黄色かったから」という理由で人を撃ち殺す。おまけに、それがもとで牢獄に入れられても、なんら反省することなく自らの空想に遊ぶ。そして、最後には弁明の機会を自ら断ち切って、嬉々として処刑されていくのである。
ここには、典型的な異邦人像が書かれている。彼らは、一般の日常の中に潜みながらも、一般の秩序に一切従うことなく、そして、それに罪悪感一つ覚えることなしに、自分の信じる道を行くのだ。犯罪者なら、秩序に反抗する(侵犯する)、という形で秩序を理解した行動をとるのであるが、異邦人はそうはしない。彼らは、はなから秩序など眼中になく、集団の内部にいながら、まったき外部にいるかのように振舞うのである。
それゆえに異邦人は、ある意味犯罪者よりも厄介な存在である。そもそも価値観が違うなどといった瑣末な問題ではない。住んでいる次元が違うのである。それゆえに、何らかの裁きを下そうにも、共通項がないので裁きの場に上げることもできない。ゆえに、それは裁きという形になることはなく、結局、暴力的な排除が行われることになる。
中世ヨーロッパにおいて、ネコやブドウが裁判(宗教裁判)にかけられたことがある。しかしそんなものは裁判とはいえないだろう。ネコやブドウにとって裁判がどんな意味を持つというのであろうか?結局は一方的かつ暴力的に裁判が進められ、ネコは殺されブドウの木は切られた。結局、異邦人もこれと同じようなケースに巻き込まれることが多いであろう(黙殺の持つ暴力性も考慮に入れられたい)。
では、どうしろというのか?我々は、はなから受け入れることすらもできないような異邦人を受け入れようと努力しなければならないのだろうか?
確かに、そうすることは非常にいいことである。倫理的には、異邦人の受け入れというものが、どれだけの肯定的意味を持っているかは語るまでもない。グローバルな社会全体としての共同体を成り立たせるためには必要不可欠の行為である…云々、様々な理由付けができるであろう。
しかし、正直に言って、我々はそこまでする必要があるのだろうか?いや、するべきだと言う人もいるかもしれない。だが、この街では?この小さな街では?日常を離れた息抜きの場であるこの街では…?
我々は聖人君子ではない。少なくとも、この街では聖人君子であるように要請される筋合いなどまったくない。異邦人を受け入れなければならない理由などない、と思うのではないだろうか?
多くの人がそう思うであろうし、私だってそうだ。
そして、続けてこう思うのではないか。「しかし、わざわざ異邦人を攻撃することもないので、最も場を荒らすことのない黙殺という手段を取るのが一番だ」と。
私はそれでいいと思うし、それが一種の平和というものであろう(日本人のナショナリズムというものは、この形を極めて取りやすい)。
では、なぜこんな話をしたのか。なぜ、こんな分かりきった結末にたどり着く話をしたのか。
なぜなら、私は異邦人と話をするのが非常に好きであり、皆にもこの楽しみを知ってもらおうと思ったからだ。
実に、異邦人と話すことは無上の快楽なのである。
突然で悪いが、以下に挙げる二つの命題を見てほしい。
「語りえぬものについては、沈黙すべきである」
「完全なシステムは、不完全である」
これは希代の天才論理学者である、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとクルト・ゲーデルが発見した命題である。
と、言ってみたものの、これだけを見たら「ハァ?」としか言いようがない。
何なんだこれは。前者は当たり前のことを言っているに過ぎないし、後者にいたっては、明らかに話が矛盾している。論理学者はこんなことで飯が食えるのか、と憤慨したくなる。
しかし、彼らは、精緻で斬新な分析により、この命題を導き出したのだ。そして、彼らの命題は、共に正しく深い意味を持っているのだ。
内容の詳しい説明は解説書に譲るが、暇な人は彼らの命題の意味を追ってみるといい。私は、彼らの命題の真の意味を知ったとき、あまりの感動に呼吸が止まり、開いた口がふさがらなくなり、目からうろこが落ちて大変な目にあった。
で、なぜこんな話をしたかというと、この命題の発明者、ウィトゲンシュタインとゲーデルは、間違いなく異邦人であったのだ。
天才と言われる種族は、ある程度異邦人であることは、皆知っているだろう。しかし、この二人は群を抜いている。
ウィトゲンシュタインは、生涯に「大学教授、庭師、建築家、小学校教師、軍人」などと様々に職を変え、ゲイで、極度に神経質であり、常に自殺願望にとりつかれていた。彼は、夜中に師であるバートランド・ラッセルの家にいきなり上りこんで、ドスドスと歩き回り、「今、私を追い出せば、死んでやる!」と叫んだ。そして、莫大な財産を持っていた彼は、ある日フラッと銀行に現れて、すべての財産を放棄してしまった。
ゲーデルは、あのアインシュタインからも「変人」とみなされており(二人は親友だった)、「神の存在証明」をやってのけ、夏でもセーターを重ね着し、陰湿でねちっこい性格だった。晩年は、常に、誰かに毒殺されるのではないか、という強迫観念に襲われ続け、病に倒れても医者にかかろうとせず、最期は食事もほとんど取らずに、イスの上で丸くなって餓死した。
こんなのは、まだ序の口である。彼らの伝記を読めば、その変人ぶりにひっくり返ってしまうだろう。
彼らは間違いなく異邦人であった。日常の秩序などお構いなしに、独自の道を進んだ。勿論、彼らの周りは常に混乱が巻き起こり、多くの人が彼らをスルーしたがった。しかし、彼らは、それに対して悪びれることなどまるでなく、さも当然のように、生きたいように生きた。いや、そうやって生きる術しか彼らは知らなかったのである。「なぜそんなことを?」彼らの周りの人々は彼らにそう言うだろう。しかし、本当は彼らこそが周りの人々に対して言いたかったのである。「なぜそんなことを?」と。
ここまで読んで、鋭敏な読者は気づくだろう。そして言うだろう。
「言いたいことはわかった。その、なんちゃらとかいう学者と、町に現れる変人を重ね合わせて、そいつらとの会話は楽しい、とか言いたいんだろう?でも、明らかに質が違うじゃないか。学者と引き篭もりの「クソコテ」では全然違う。一緒なわけはない!」
ああ、その通りである。私は言いたかったのだ。異邦人との会話はウィトゲンシュタインやゲーデルとの会話に勝るとも劣らない楽しさがある、と。
しかし、付け加えるのならこう言おう。ウィトゲンシュタインやゲーデルと「クソコテ」氏との価値はさほど変わらないのだ、と。
ウィトゲンシュタインやゲーデル、彼らの思想が魅力的かつ重要であるのは、それが「異常」だったからだ。1+1=2であることを証明したりしたのとはワケが違う(勿論、その証明が素晴らしいことには違いないが)。彼らは、既成の論理を組みなおしたり、改造したりというレベルで仕事をしたのではない。彼らは、既成の論理でできた世界、それ自体に風穴を開けるような、「異常」な仕事、いや侵略をやってのけたのだ(前述した命題が「真」なのだ。それだけ見てもその「異常さ」はわかってもらえると思う)。
異邦人の語る言葉は、それもまた異邦の言葉であり、そこには自閉した世界を打ち破るパワーがある。安定した世界に、異質な物質を無理やりねじ込むような、斬新さがあるのだ。
人々は、単にウィトゲンシュタインやゲーデルの仕事の「完成度」に引かれたわけではない、むしろ、その「異常さ」「異質さ」「異様さ」に打ちのめされたことに魅力を感じたのだ。既存の価値では測ることのできない、その存在の圧力が人々を捕らえたのだ。天才というものの魅力の秘密は、実にそこにあるのだ。
そして、そこに注目するのなら、学者の語る言葉と「クソコテ」氏の語る言葉に何の違いがあろうか?「測りがたい異邦の言葉」を「測る」ことなどできない。そして、測れないものは比べられはしない(もし、「ゲーデル」という名のギコが町に現れて、「完全なシステムは不完全である」と言ったとしよう。そんな時、あなたはどういう反応を示すだろうか?考えてみてほしい)。
異邦人の前で、我々は、ただただ圧倒される。「異常さ」に、ぽかんと口を開ける。そして、自分の知っていた世界が崩れ去り、井戸の中が、いかに狭かったかを感じ取る。馴れ合いという名の世界で安穏としていた自分に新しい風が吹き込むのだ。それは実に素晴らしいことではないだろうか?
さて、ここまで言ってもまだ異邦人との会話を「ツマンネ」「ねーよwww」とばっさり切り捨ててしまう人に、私はこの話をしよう。
ソクラテスとイエス。この二人、大昔の人であるが、彼らもまた異邦人であった。
ソクラテスはギリシャで人々を捕まえては、誰も聞いたことのないような異常な論議をふっかけ、人々を混乱させた。そのおかげで彼は捕まり、毒殺された。
イエスはエルサレムで、当時の社会では異常としかいえない考えを広め、国政を混乱させた。そのおかげで彼は捕まり、丘の上で強盗と共に処刑された。
もうお気づきかと思うが、彼らこそ、彼らの死後、2000年以上にわたって世界の原理となり続けた「哲学」と「キリスト教」の産みの親なのである。

目の前に異邦人がいます。
さて、あなたならどうしますか?
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  1. 2005/06/22(水) 01:34:00|
  2. BARギコにて・・・|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:9
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コメント

異邦人?ギコの眼をみて、いい人かどうか判断します。
  1. 2005/06/24(金) 20:54:56 |
  2. URL |
  3. (-  _ -) #-
  4. [ 編集]

どもども!

なんと、眼ですか!
私にはどれも同じに見えてしまいますw
きっと、達人のような眼力をおもちなんでしょうなぁ…
私は、ギコの口の動きで性別を見分ける練習をしております。
女性のギコは、わりと色っぽい動きをしますので…
…ウソです…
  1. 2005/06/26(日) 00:29:18 |
  2. URL |
  3. アナール学派 #-
  4. [ 編集]

ヒント:吹き出し

私は吹き出しの位置と消すスピードをよく観察していますw
  1. 2005/06/26(日) 01:09:52 |
  2. URL |
  3. 改 #nVoyyyuY
  4. [ 編集]

どもども!

おお、それそれ!
それは確かに人柄が出ますなー
吹き出しの位置は「気遣い度」を
消すスピードは「熟練度」を表していると考えます。
あと、他ギコを避けて歩くか踏んで歩くかとか・・・
たくさんありますなぁ…
これでまた一本書けそうですなw
  1. 2005/06/26(日) 21:49:58 |
  2. URL |
  3. アナール学派 #-
  4. [ 編集]

異邦人と聞いて飛んで来ました (;´Д`)
もっと一般人に溶け込める様に努力します・・・
なるべく発言も控えます・・・


むしろ別人になります・・・
  1. 2005/06/27(月) 03:15:58 |
  2. URL |
  3. CIBER #-
  4. [ 編集]

お久しゅうござ

異邦人ですかぁ、今「ヒューマンソサイエティ」という真っ白な本を読んでいるのですが、その中で紹介されてる?「盲目の村」(だったかな)を思い出しました。その概要を見ると、イエスや、ソクラテスがいかに偉大な異邦人かがわかりましたょ。
私は影響力のある者に従う性質が主成分なので、多少でもそういう力が欲しいです。
でも私のmottoは「長いものには巻かれよう、郷には従おう、しかし朱にまじわっても赤くはならない」です。自分の中身は変えません。
たとえ異邦人といわれようとも・・・
  1. 2005/06/27(月) 04:22:36 |
  2. URL |
  3. ▼ #-
  4. [ 編集]

どもども!!

CIBERさん!
あなたも異邦人ですかw
しかし、よく考えてみると、噴水広場は異邦人の集会所みたいな気がします。「異邦人組合」とでもいいますか・・・
だから、安心してどんどん喋ってくださいね!別人なんてもっての外ですよ!
まあ、別人に扮してもばれちゃうと思いますけどw

▼さん!
お久しぶりです!
「ヒューマンソサエティー」ですか。なんだか面白そうな本ですなぁ。
まことに異邦人はあなどれません。
アインシュタイン、フロイト、フッサールなど、現代に大きな影響を与えている人物は、世界をまたにかける「異邦人」種、ユダヤ人であるというのは驚きです。
まさに、驚嘆すべき異邦人パワーですな。
「長いものには巻かれよう、郷には従おう、しかし朱にまじわっても赤くはならない」というのは、なかなかいいモットーですね。
しかし、難しい!私は、知らぬ間に変わってしまっている自分に気づいて、愕然とすることも多いです。
「Boys be ALIEN!!」ってところですな!!


  1. 2005/06/30(木) 01:39:41 |
  2. URL |
  3. アナール学派 #-
  4. [ 編集]

みんな同じカオ、同じカラダ
のギコだからこそ、
それぞれの個性が光っているのかなぁと、
いつも思いながら戯れています。

異邦人さn?かはワカラナイけど
(気付いてナイだけかも!)、
とりあえず話してみるのは楽しいです。

いろいろなひとがいて、
話すにつれて、
そのひとの良さや考え方、
今のキブンとかが
伝わってくるように感じます。

フフフーーン。
そうかそうか。
とね。

そして、妄想の世界へと・・・w
  1. 2005/07/02(土) 00:26:24 |
  2. URL |
  3. ちょ #-
  4. [ 編集]

どもども!

そうですねぇ。皆同じ顔、体だからこそ、個性がよりいっそう際立ってきますね。
みんなスタートラインは同じ。
そういう意味で、BARギコは一つの理想郷なのかもしれません。
だからこそ、みんなと仲良くしたいし、平和な空気を作って行きたいものです。
これからも平等な中での、個性の差を楽しんでいきたいです。

そして、私も妄想の世界へと・・・w
  1. 2005/07/02(土) 22:37:53 |
  2. URL |
  3. アナール学派 #-
  4. [ 編集]

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