アナール学園

不実なる街の住人「アナール学派」のブログです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

「滅び」の人間学

6411.png

(この画像は某サイトに投稿したものの再利用です)

 実に奇妙に思われるかもしれないが、私は「滅び」という言葉が好きである。
 街を歩いていて、「今、全てが滅んでしまえばどうなるのだろう?」とか、「全てが滅んでしまって、私だけが残されたらどうなるのだろう?」などと想像してみたりする(ちなみに、このブログに掲載されている「GOODS STORY」という話は、そんな想像をもとに生み出されたものだ)。
 勿論、その対極にある「誕生」という言葉も好きだ。しかし、その深みにおいて私を魅了させるのは、常に「滅び」という言葉だ。

 「滅び」には「誕生」にはない引力がある。「滅び」という言葉を頭の中で転がしたときに感じる、ある種の苦味にあるような強烈な常習性、すえた水の匂いが感じさせるような安堵感、孤独な暗がりが与えてくれるような興奮。そんなものが強烈に私を引き付ける。
 このような告白を笑う人がいるだろうか。しかし笑うことなかれ。人間は、洋の東西、老若男女問わず、「滅び」という物に魅了されてきたのではないか。
 東洋は無常観を愛し、「諸行無常の響き」を聞き続けてきたし、西洋は終末論に取り付かれ、「没落のヴィジョン」を常に見つめてきた。
 子供達は「そしてみんな死にましたとさ」という、グリム童話によくあるパターンで無邪気に笑い、大人達は、まさに「滅び」の都市的象徴としての「廃墟」を観光スポットのように巡っている。
 普段、人は当然のように「誕生」にこそ価値があると思い、「滅び」を嫌悪している。しかし、一度、人間という奇妙な器のフタを開けて中身を覗いてみれば、「滅び」に対する執着とはかなりのものなのではなかろうか。
 以前、私はドストエフスキーの小説の中で、「粘っこい新芽」という言葉を見つけて非常に感動した。これほどに「誕生」の明るさ、力強さ、可能性を表した言葉はないと思ったからだ。しかし、「粘っこい新芽」を愛したドストエフスキーも、一方では「滅び」に異様なほどに執着した。明晰な青年が発狂し、純真な乙女が堕落し、無垢な子供が虐待の果てに殺される、そんな悲惨な「滅び」の描写にこそ、ドストエフスキーは力を注いでいるのである。
 なぜ人はこんなにも「滅び」に引かれてしまうのだろうか。
 精神分析の始祖であるフロイト(1856~1939)は、晩年に『快楽原則の彼岸』という論文を書き、その中で驚くべき発見を報告している。
なんと、人間の中には、生への本能(エロス)の他に、死への本能(タナトス)があるというのである。
 簡単に言ってしまえば、「人間は、常に、エネルギーゼロの無機物に戻ろうとしている」のである。人間はエネルギーの過剰を嫌い、その均衡を求めるようにできている。それゆえに、その究極目的はエネルギーのない無機物(たとえば石や土)にいたることであり、それは言い換えれば死ぬことなのである(ちなみに、熱力学の第二法則、すなわち「エントロピーの法則」と、それが導き出す「熱死」を考え合わせれば、この論理はかなり現実味を帯びるとおもわれる)。
 このフロイトの言説を信じるのならば、人間が「滅び」に執着する理由も理解できてくる。人間には、好き嫌いを言う以前に「滅び」に対する願望が普遍的に存在し、それを求めるようにできているのである。
 ハイデガー(1889~1976)は、その実存哲学において、死を生に奉仕するものして位置づけたが、フロイトの場合では死と生は等価であり、共に人間が求めるものなのである。
 この論理は、普通に生きている人にとっては、簡単には受け入れられないものかもしれない。人間が「誕生」と「滅び」の二元論に引き裂かれて生きているなどとは(そして、その両者に同等の勝利宣言が与えられているなどとは)、考えられないことかもしれない。
 しかし、人間が、時に過剰なほどに「滅び」を欲する場合などを考えると、この論理を受け入れた方が納得がいくのではなかろうか。
戦争、犯罪などに見られる、明らかに無益な「滅び」の氾濫を見るとき、我々は人間の中にあるタナトス(死への本能)の存在を痛感してしまうのではないだろうか。
 フロイトの精神分析を批判的に受け継いだフロム(1900~1980)も、最初はタナトスの存在を猛烈に批判していたが、彼自身が第二次世界大戦の惨状を目の当たりにするにいたって、人間にはネクロフィリア(愛死的、死を愛する)な傾向があると確信するにいたっている。
 人間というものは、その深遠を覗けば覗くほど「滅び」というものにドップリと浸っているものなのであり、我々は中世のヨーロッパ人が考えていたように、常に天使(誕生)と悪魔(滅び)の両方による導きに遭遇しているのである。
 では、我々はこの事態に対して、どう対処するべきなのであろうか。
理性を持って「滅び」の傾向に対処する、という見解が出されるかもしれない。理性を持ってすれば、必ずや「滅び」を駆逐し、「誕生」に満ちた生活をおくれるに違いない、という見解だ。
 しかしながらこれも楽観的に過ぎる見解だといわざるを得ない。「滅び」が人間にとって本質的な傾向ならば、それを完全に消し去ることはできない。それゆえ、「滅び」を駆逐する行為は「滅び」を無理矢理抑圧することとなり、それは必ずや、「滅び」の暴走を招く事になるからだ。そしてそれが理性と結びついたとき、最悪に事態が起こる。理性的な暴力の嵐が巻き起こるのである。ナチスの強制収容所のシステム、及びガス室を思い出していただきたい。あれはいかに効率よく一民族を殲滅できるかという、非常に理性的な考察に基づいて考え出されたシステムなのである。
 こんな事態は無数にある。核ミサイルに代表される大量殺傷兵器も理性的な産物だし、身近なところで言えば、民族差別、同性愛者差別なども、理性が作り出さずにはいられない正常と異常の境界線が生み出した悲劇に他ならない。
 場合によっては、理性ほど信用できないものもないのである。
 それゆえ、我々は自らの中にある「滅び」に、目をそらすことなく正面から向かい合っていかねばならない。そして、各々が、どのようにして「滅び」を受け入れ、その力を利用していくかを考えていかねばならないのである。
スポンサーサイト
  1. 2005/08/26(金) 18:12:50|
  2. アナール学派の雑感|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:5
| ホーム | アナール学派、暑い日に辛いカレーを食べる>>

コメント

夏休み明けでボケボケ状態なのに難しいテーマですね。orz

「タナトス」の行方ですかぁ、ん~と、
以前に何処かで聞いたのですが(多分日本の宗教?)
天国と地獄の話で、食事をする時の様子を言ったものがあったかなぁ  と記憶の断片に・・・
天国も地獄も何人かでいっぺんに食事をとるのだけれども、食事の時は皆体を椅子に縛られて、身長ほどもある箸(だったかな?)を手に固定して使うことが義務づけられている。地獄では箸が長過ぎて食べ物が口にはいらず皆空腹。天国では長い箸を使って、テーブルの向こうの人にお互いに食べさせあうので、皆満たされる。
みたいな感じのやつです。

「滅び」の力(衝動?)も、自分が使うのではなく、相手に使わせれば良いのでは?
と難しいことを思いつきましたorz
「滅び」と「理性」についてあさはかに、
小さい「タナトス」は理性で制御できる。
中くらいの「タナトス」はしばしば衝動的で、理性では制御できない場合がある。
大きい「タナトス」は理性を制御する。
って感じました。
誰かが理性で「タナトス」を無理に抑制していたのなら、自らの「エロス」を用いて・・・
とか 
じゃぁ大きいのは?  って
もうボケボケですorz  
なんかごめんなさいでした。
  1. 2005/08/28(日) 11:48:50 |
  2. URL |
  3. ▼ #-
  4. [ 編集]

どもども!

休み明け、さっそくのコメントありがとうございます!

おはしの話、ありましたね。中国道教の話だったと思います。
「滅び」の力を相手に使わせる、そういう発想は東西の宗教によく見られますね。
仏教の「アヒンサー」や、キリスト教の「汝の敵を愛せよ」とかがそうですね。
自らが「滅び」を行使することなく、ただ相手の「滅び」の行使を慈しみをもって受け入れる事によって、最終的に「滅び」をなくしていこうという発想です。
別に宗教的な文脈で語るまでもなく、この姿勢は非常に大切だと思います。
▼さんがおっしゃるように、この問題は、常に人間どうしのつながりの中で解決されていくでしょうね。

私は、「タナトス」の有力な解消手段として芸術を考えています。
想像と破壊が圧縮して行われる芸術の場が、非常に有効に働いてくれると考えているんですが…どうでしょうねw
  1. 2005/08/29(月) 23:00:24 |
  2. URL |
  3. アナール学派 #-
  4. [ 編集]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2009/09/11(金) 15:03:15 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
  1. 2012/10/31(水) 17:23:48 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
  1. 2013/02/08(金) 01:07:08 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://annales.blog7.fc2.com/tb.php/28-31a0ca0f
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。