アナール学園

不実なる街の住人「アナール学派」のブログです。

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宵の桜

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桜が咲き乱れている。
ここ数日続いた夏日のせいで、一挙に花開いたようだ。
今日も、夜桜で一杯という人は多いだろう。
日本人は桜が大好きなのだ。
そして、ご多分にもれず、私も桜が大好きである。
桜は一日のうちで色々な顔を見せる。
別に実際に桜自体が変わるわけではないが、朝から夜の間に風景が変わることによって、桜自体も劇的に変化して見えるのだ。
私の一番好きな桜は、夕方近くに見る桜、すなわち宵桜だ。

まるで水の中に一滴の墨を落としたように、ゆっくりと闇が広がっていく。雲の縁の影が濃くなり、空気が冷たさを帯びていく。
そんな宵を背景に見る桜が一番いい。
宵桜は美しいだけではない。それ以上の何かを秘めている。
それは、恐怖にも似た不気味さ・・・そして聖性だ。
R・オットーはこう言う。
人が「聖なるもの」を見るときには、引力と、そのまったく反対の斥力を同時に感じる。つまり、魅力を感じて引き付けられ、かつ、逃げ出したいような恐怖に駆られる、と。魅力と恐れが弁証法的に溶け合うもの、それが「聖なるもの」なのだ(日本語の「畏れ」という言葉には、その感情が見事に表現されている)。
宵桜もそうだ。その美しさには、宵の持つ不気味さ、夜に突入していこうとする時間が持つ独特の陰鬱な恐怖がまとわりついている。そして、その恐怖のゆえ、さらに私は宵桜に惹かれるのである。
実に私は宵桜に「聖なるもの」を感じているのである。
別にオットーの言葉を借りるまでもない。日本人は昔からこう言う。「桜の木下には女の死体が埋まっている」と。
桜とは日本人にとって、怪しい魅力と恐るべき美しさをはらんだ聖なるものでありえたのだ。
宵とは朝や夜のように長く続くわけではない。
その刹那さも、宵桜の聖性を引き立てるのに一役買っているのであろう。
ガラスでできた美しき娼婦の聖像、私にとって宵桜はそう呼ぶにふさわしい存在なのだ。
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  1. 2005/04/10(日) 22:33:22|
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